表題の通りです。本日は最終勤務日でした。
ところで、前回の記事で
「この仕事を辞めた後、私がどこで何をしていようがボスには何の関係もない。言う必要ない」
ということを書きましたが、残念ながらこれは本当であり、仕事をしてそれで報酬を貰うという以上の関係をボスと築くことはありませんでしたし、そのことに心残りも感じていません。言い方を変えれば
ボス「俺はお前に月20万払う。俺が月に200万稼ごうが2億稼ごうがお前に払う額は20万。ボーナスは無い。
本当は2億稼いだなんて言わない。言う必要はない」
こんなところでしょうか。
イタリア語が完璧に理解出来ない自分はわかりませんでしたが、同僚のイタリア人たちは皆口を揃えて
「あれだけのロイヤリティーをもらっているくせに」
と言っていました。
残念ながら自分がミラノで最後の数年を過ごした場所はそう言う場所であり
(いや世界中、傾向的にはこういう場所の方が多いかもしれない)
事実、自分と反対の考えを持った者をこの事務所ではついに一度も見ることがありませんでした。
思えば2012年の7月、千は勤めていた別のデザイン事務所を去らなければ行けなくなり、次の職場が決まるまでの間、知り合いの手伝いをさせていただく形でなんとか食いつないでいました。この時はイタリアを出て行くことも辞さない、ドイツでもイギリスでもフランスでもオランダでもどこでも行ったれという気持ちでしたがなかなか決まりませんでした。9月になり今の事務所から電話で呼び出され、予想もしないような条件を提示されたことで、それを受け入れたのでした。おかげで生活は一気にまともになりました。人の食料を勝手に食べるルームメイトに耐えかねて、新しい部屋を探せるようになったのも、そうして経済状況が良くなったからほかありません。
しかし「あのとき楽な方向に流れていなければ..」と思うことがあります。
一人の部屋に住めなくても、美味しい食事にありつけなくても、日本に帰れなくても、自分の職業であるデザインと自身の向上ために
度を過ぎた忍耐があろうとも、もっと最も自分のためになる環境は何かという主題から目をそらすべきではなかったと思うことがあります。
しかしながら過去を振り返っても仕方が無い。
自分はここで学んだことを、これからどう生かしていくかで、これも一つの道であったと思えるように生きていくことが真理でしょう。最後の半年はミケーレが出て行ったことで、期せずして本来ならやらせてもらえない重要な仕事もいくつも経験することが出来ました。そしてボスはその仕事内容をまずまずと思ってくれたのか、千が日本に帰った後も仕事を一緒に続けたいと言ってくれています。
そんな心持ちだったからでしょうか。
退社前の最後の時、ボスと握手を交わしても、
同僚たちとハグをしても、感極まることはありませんでした。
(同僚たちとは後日また会う予定があるのでというのも理由)
書いていて、なんて自分本位で人間味に欠けるんだろうと思いながらも、
しかしこれくらいの気概が無いとイタリアじゃやっていけないという気持ちもあり、
いつもと変わらずに過ごした一日、千の最終勤務日は過ぎていったのでした。
ところで、前回の記事で
「この仕事を辞めた後、私がどこで何をしていようがボスには何の関係もない。言う必要ない」
ということを書きましたが、残念ながらこれは本当であり、仕事をしてそれで報酬を貰うという以上の関係をボスと築くことはありませんでしたし、そのことに心残りも感じていません。言い方を変えれば
ボス「俺はお前に月20万払う。俺が月に200万稼ごうが2億稼ごうがお前に払う額は20万。ボーナスは無い。
本当は2億稼いだなんて言わない。言う必要はない」
こんなところでしょうか。
イタリア語が完璧に理解出来ない自分はわかりませんでしたが、同僚のイタリア人たちは皆口を揃えて
「あれだけのロイヤリティーをもらっているくせに」
と言っていました。
残念ながら自分がミラノで最後の数年を過ごした場所はそう言う場所であり
(いや世界中、傾向的にはこういう場所の方が多いかもしれない)
事実、自分と反対の考えを持った者をこの事務所ではついに一度も見ることがありませんでした。
思えば2012年の7月、千は勤めていた別のデザイン事務所を去らなければ行けなくなり、次の職場が決まるまでの間、知り合いの手伝いをさせていただく形でなんとか食いつないでいました。この時はイタリアを出て行くことも辞さない、ドイツでもイギリスでもフランスでもオランダでもどこでも行ったれという気持ちでしたがなかなか決まりませんでした。9月になり今の事務所から電話で呼び出され、予想もしないような条件を提示されたことで、それを受け入れたのでした。おかげで生活は一気にまともになりました。人の食料を勝手に食べるルームメイトに耐えかねて、新しい部屋を探せるようになったのも、そうして経済状況が良くなったからほかありません。
しかし「あのとき楽な方向に流れていなければ..」と思うことがあります。
一人の部屋に住めなくても、美味しい食事にありつけなくても、日本に帰れなくても、自分の職業であるデザインと自身の向上ために
度を過ぎた忍耐があろうとも、もっと最も自分のためになる環境は何かという主題から目をそらすべきではなかったと思うことがあります。
しかしながら過去を振り返っても仕方が無い。
自分はここで学んだことを、これからどう生かしていくかで、これも一つの道であったと思えるように生きていくことが真理でしょう。最後の半年はミケーレが出て行ったことで、期せずして本来ならやらせてもらえない重要な仕事もいくつも経験することが出来ました。そしてボスはその仕事内容をまずまずと思ってくれたのか、千が日本に帰った後も仕事を一緒に続けたいと言ってくれています。
そんな心持ちだったからでしょうか。
退社前の最後の時、ボスと握手を交わしても、
同僚たちとハグをしても、感極まることはありませんでした。
(同僚たちとは後日また会う予定があるのでというのも理由)
書いていて、なんて自分本位で人間味に欠けるんだろうと思いながらも、
しかしこれくらいの気概が無いとイタリアじゃやっていけないという気持ちもあり、
いつもと変わらずに過ごした一日、千の最終勤務日は過ぎていったのでした。