前回は、レノン鉄道に乗って終着駅で降り、そこから歩いて石のピラミッドに到着した。
石のピラミッドを離れ、駅へ戻る道を歩いている。
石のピラミッドを離れ、駅へ戻る道を歩いている。
横を見ればいつも山々を眺めることが出来る。それにしても、自分がいつかこんな場所にセカンドハウスを所有出来る日が来るのだろうか、否、そもそもファーストハウスすら可能なのか..とか考えながら、こんな場所に家を建てられるような人々は一体全体どんな商売をしているのだろうか等と悶々と思考するのであった。少なくともそれはデザイナーのアシスタントではないだろうということであった。ミラノも同様である。ポルシェ、ベンツ、BMW、アウディ等の高級車を簡単に見つけることが出来る。彼らは一体どんな(せこい)商売をしているのだろうか、と冗談まじりにいつも考えたりしている。
結構歩いたので水分補給も兼ねてホテルでもらったリンゴをかじる。このまま皮ごとかじって食べる。皮と実の間の部分は酸味がある。中の方は甘いので、そんな味わい方が楽しい。果物の皮の味を楽しむというのはイタリアで覚えたことだろうなと思った。
駅に戻ると、行きの木造単両とは違うタイプの電車が入ってきた。ホットワインでも入ってそうなマグカップの色を連想させる。
ところで、このあとどこを目指したかと言うと、Ritten horn リッテンホルンというこの界隈の山頂とも言うべき場所にある湖であった。
ところで、このあとどこを目指したかと言うと、Ritten horn リッテンホルンというこの界隈の山頂とも言うべき場所にある湖であった。
そこへ行くためには、この終着駅collaboの次の駅で降りて、地図上では近くにあると思われるバス停からリッテンホルンへと向かうバスに乗り換える必要があった。そこで電車に乗ってすぐに次の駅で降りたかったのだが、どうやら降車を知らせるボタンを押さないと通過してしまうシステムらしく乗り過ごしてしまった。電車が30分間隔でしか来ないため諦めかけたが意を決して次の駅で降りてみた。
すると下りの電車は運良く5分後にやって来た。これに乗り、降りるはずだった駅へ到着出来た。
iPhoneや観光マップを見ながらバス停を目指すがなかなか見つけられない。やっとこれかと思われる道路に出ることが出来た。
徒歩で坂道を上る。20分以上歩いただろうか。例のバス停を見つける。しかし時刻を確認すると1時間間隔の運行で、これでリッテンホルンを目指してしまうと、ミラノに帰れなくなりそうな心配が出てきた。結果リッテンホルン行きは断念した。
ちなみにそこはどんなところかと言うと、まずこのバス停からリッテンホルン行きのロープウェー乗り場まで行く。
ちなみにそこはどんなところかと言うと、まずこのバス停からリッテンホルン行きのロープウェー乗り場まで行く。
するとこんな壮大な景色を見ることが出来るロープウェーに乗り山頂を目指すのである。
すると山頂にはこのような綺麗な湖があるとのことであった。
またこのあたりあもうゲレンデとなっており、この季節はスキー客で賑わっているようである。
これらの画像をその場でiPhoneで見て、これを見ずに帰るのか、と残念な気持ちになってしまった。
ああ、せめてあと1時間でも早くここに来ていたら行けたのになあと思うと少し悔しい気持ちがしたのであった。
またこのあたりあもうゲレンデとなっており、この季節はスキー客で賑わっているようである。
これらの画像をその場でiPhoneで見て、これを見ずに帰るのか、と残念な気持ちになってしまった。
ああ、せめてあと1時間でも早くここに来ていたら行けたのになあと思うと少し悔しい気持ちがしたのであった。
一年の計は元旦にあり。
この言葉の意味をあまりよく知らなかった。てっきり1月1日の過ごし方がその後の1年を象徴することになるという意味だと勝手に勘違いしていた。だから、この直前でチャンスを逃すというこの出来事を大変反省したのであった。あともう少しで行けたのに行けなかった。ちゃんと計画していれば..自分はこの先もこんな風にあともう少しのところでいろんなチャンスを逃してしまうんじゃないかと重い、ひとしきり反省した。また、逆に言えば、1月1日から自分をこんな風に顧みることが出来て良かったとも思えなくもなかった。
ただ、実際はこの言葉はそう言う意味ではない。計画は早めにしっかりと立てるべきだという戒めということだ。
まあどちらにしてもだ。
駅へと戻る道で原っぱで日光浴をする猫がこちらを見ていた。
この言葉の意味をあまりよく知らなかった。てっきり1月1日の過ごし方がその後の1年を象徴することになるという意味だと勝手に勘違いしていた。だから、この直前でチャンスを逃すというこの出来事を大変反省したのであった。あともう少しで行けたのに行けなかった。ちゃんと計画していれば..自分はこの先もこんな風にあともう少しのところでいろんなチャンスを逃してしまうんじゃないかと重い、ひとしきり反省した。また、逆に言えば、1月1日から自分をこんな風に顧みることが出来て良かったとも思えなくもなかった。
ただ、実際はこの言葉はそう言う意味ではない。計画は早めにしっかりと立てるべきだという戒めということだ。
まあどちらにしてもだ。
駅へと戻る道で原っぱで日光浴をする猫がこちらを見ていた。
駅へ戻る道。線路を横切るが遮断機は無かった。電車が近づくと光と音で知らせてくれるだけである。
駅へ戻る道。舗装すらされていない。公道なのか私道なのかも不明。家畜の匂いがする。
駅に戻って来た。
電車まで15分くらいあったのでベンチに座る。クリスマスの装飾の星がかわいらしい。
電車の時刻になって一組のファミリーがやってきた。ご夫人と鉄道のツーショット写真。ご夫人のブーツがよく見るとかっこいい。
電車がいつも満員であった。
窓の外は日が暮れかけているようであった。おそらくもうここに戻って来ることはないだろうなあ。
もちろん戻りたければいつでも戻れるだろうが、それだったらまだ訪れたことの無い場所に行ってみたいなと思うのであった。
もちろん戻りたければいつでも戻れるだろうが、それだったらまだ訪れたことの無い場所に行ってみたいなと思うのであった。
終点、ソプラボルツァーノ駅に戻って来た。ここから下りのロープウェーに乗り換えてボルツァーノの下界へ戻る。
ミラノへ帰る時間が近づいている。
ミラノへ帰る時間が近づいている。