自転車通勤なのだが、昼休みの用事の時と、帰り道で1日に2度も交通事故の現場の前を通った。昼のほうは自動車どうしのようでであり、車体の一部が凹んでいただけ。各人が警察からの取り調べを受けている様子であった。一方、夜に見たのは交差点の歩道で、クルマの下に人が倒れているのが見えた。自分は信号待ちをしており、ちょうど前をパトカーが通り現場に到着していた。何人か人が集まっており、被害者に対してのことだろうか「触るな、触るな!」という叫び声が聞こえたりして現場は騒然としいた。
イタリアでこういう現場、つまりクルマの下に人が倒れているというシーンを実のところこの3年で3度以上見ているのだが、もちろん、被害者の無事こそ願うが、彼らがクルマで事故を起こすことなど当たりまえに決まっているので、彼らからとっとと運転免許証を永久に剥奪してほしいというのが著者の正直な気持ちである。これまでイタリアで何度クルマにぶつかりそうになったことか。また、停車中のクルマのドアが突然開いて接触し転倒したことがある。歩行者とクルマが出会うような曲がり角の横断歩道でも彼らはスピードを落とさずに平気で侵入してくる。なんならこちらの顔を威嚇するような表情で見ている始末である。
先ほどの夜の事故の現場の話に戻るが、自分に出来ることは何一つない。人も既に多くいたので足早に通り過ぎた。極端な話だが、巻き込まれたくもないという気持ちすらあった。「知らない」「私のせいじゃない」などは彼らの常套句だ。
すると、横断歩道でもない普通の道路で、クルマが来ないことをいいことに老婆が道路を渡ろうとしているようであったが、自転車に乗って近づいてくる自分に気が付きビクッと動きを止めた。歩行者も歩行者である。この国の人間は、自分が人にしたことがまわりまわって自分に帰ってくる、というような考え方を知らないのであろうか。
いつかの自転車通勤中に、前をバイクが走っていた。その前をゆっくりとクルマが走っていて、バイクがそれを追い抜こうとハンドルを切ったところ、路面電車のレールに滑ったようで自分の目の前でバイクが倒れたようなこともある。私は怖かった。「お前みたいなのが後ろにいたから、俺が転んだんだ」と言われるかもしれないと思ったからだ。極度の心配性だろうか?さすがにそんなことあるわけないと思われるだろうか?
イタリアでこういう現場、つまりクルマの下に人が倒れているというシーンを実のところこの3年で3度以上見ているのだが、もちろん、被害者の無事こそ願うが、彼らがクルマで事故を起こすことなど当たりまえに決まっているので、彼らからとっとと運転免許証を永久に剥奪してほしいというのが著者の正直な気持ちである。これまでイタリアで何度クルマにぶつかりそうになったことか。また、停車中のクルマのドアが突然開いて接触し転倒したことがある。歩行者とクルマが出会うような曲がり角の横断歩道でも彼らはスピードを落とさずに平気で侵入してくる。なんならこちらの顔を威嚇するような表情で見ている始末である。
先ほどの夜の事故の現場の話に戻るが、自分に出来ることは何一つない。人も既に多くいたので足早に通り過ぎた。極端な話だが、巻き込まれたくもないという気持ちすらあった。「知らない」「私のせいじゃない」などは彼らの常套句だ。
すると、横断歩道でもない普通の道路で、クルマが来ないことをいいことに老婆が道路を渡ろうとしているようであったが、自転車に乗って近づいてくる自分に気が付きビクッと動きを止めた。歩行者も歩行者である。この国の人間は、自分が人にしたことがまわりまわって自分に帰ってくる、というような考え方を知らないのであろうか。
いつかの自転車通勤中に、前をバイクが走っていた。その前をゆっくりとクルマが走っていて、バイクがそれを追い抜こうとハンドルを切ったところ、路面電車のレールに滑ったようで自分の目の前でバイクが倒れたようなこともある。私は怖かった。「お前みたいなのが後ろにいたから、俺が転んだんだ」と言われるかもしれないと思ったからだ。極度の心配性だろうか?さすがにそんなことあるわけないと思われるだろうか?